介護福祉師


第一章:孤独

5.動き出した時間

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 そんなことを繰り返していたある日のこと。何気なく朝刊を読んでいると、ある記事が私の目にとまった。
 それは
「近い将来、確実に来る高齢化社会を迎えるにあたり、介護現場を支える人材が不足している」
と書かれた小さな記事だった。しかし私の目から離れなかった。私には介護という言葉にひかれることがあったからだった。

 私は一人っ子で、両親が共働きということで、幼い頃よく祖母の家に預けられました。祖母は私の家のすぐ近くに住んでいて、私が行くと、いつも決まって笑顔で迎えてくれ、私の遊び相手になってくれました。独りで家にいる時よりも、心が落ち着いて、楽しかったことを覚えています。
 私は祖母が大好きでした。祖母の家に行くことをたのしみにしていたものでした。
 しかし、祖母が80歳の時、脳梗塞を患い、それ以降寝たきりとなってしまったのです。私は心の底から、祖母の回復を祈りましたが、回復することなく、その1年後に亡くなってしまいました。
 祖母が寝たきりで過ごした1年間、私は毎日のように祖母の家にお見舞いに行きました。祖母は、脳梗塞の後遺症のため言葉を失い、手足も思うように動かせない状態となってしまいました。しかし私が近寄ると、苦しかったと思いますが、無理して笑顔を作って答えてくれました。
 ご飯は満足に食べることが出来ず、水分を飲み込むと激しくむせてしまい、体は痩せる一方でした。日に日に衰えていく祖母の傍らで、何度も元気になってほしいと祈りました。幼少の私にはできることが限られていましたが、飯を食べさせてあげ、時々出る痰をティッシュでふいてあげました。
 しかし祈りは届かず、最後はご飯が食べられなくなってしまい、その数日後、脳梗塞が再発し息を引き取りました。
 亡くなった日、私は動かなくなった祖母を見て
「おばあちゃん。」
と叫び、泣きました。
 しかし返事が返ってくることは2度とありませんでした。いつも優しく私を迎えてくれた祖母には、もう逢えないのです。あまりの淋しさとショックで、しばらく御飯が喉を通らなかったことを覚えています。
 今でもそのことを思い出し、時々胸が苦しくなることがあります。もう少し祖母といたかった・・・。
 介護の仕事について考えたとき、祖母の優しい笑顔が頭に浮かびました。私は初めて自分がなりたい職業が見つかったような気がしたのです。




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