介護福祉師


第一章:孤独

5.動き出した時間

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 次の日から社会復帰に向けてトレーニングが始まった。
 前日買った目覚まし時計で、9時に目を覚まし、外に出て太陽の光に当たるようにした。ジャージに着替え、外でランニングをした。運動なんて何年振りだろうか。数分走るとすぐ息が上がってしまう。煙草の吸いすぎのためか、持久力が全くない。しかし思っていたより気分が良い。不安が襲ってくる様子もなかった。心が少しずつ安定を取り戻してきているような気がする。
 しかし問題もあった。それは電車に乗ることが出来ないことだった。電車に乗り、ドアが閉まると、突然恐怖が襲い、胸が苦しくなり、身動きが取れない状態になってしまった。知らない人の中、室内が密封されることで、外に出ることが出来ないことが、私には恐怖に感じられた。
 鉄の壁に押しつぶされそうな錯覚に陥り、息苦しくなり右手で胸をぐっと掴み、その場から全く動けなくなってしまった。次の駅に着くまでには、体中に汗が溢れ、這うようにして電車を出た。
 この恐怖を克服するには、何度も電車に乗ってみるしかなかった。始めのうちは床の一点を見つめ、震えて次の駅に着くのを待っていたが、何回、何十回と電車に乗るうちに、慣れてきたのか、ようやく電車に乗っても恐怖に陥らない状態となった。

 それから一週間後、私はハローワークに向かった。社会復帰のため、職を探さなければならない。
 しかし、日本は未だにバブル崩壊後の不況から抜け出せずにいた。朝早く起き、ハローワークに着いたのだが、もう駐車場は満車で、順番を待つ車が長い列を作っていた。
 車の中で1時間ほど待っただろうか、ようやく駐車場が空き、車を止めハローワークの建物に入ることが出来た。

 建物の中には、くたびれた服を着た中年の男性や、赤ちゃんを背負った母親などが疲れた顔をして受付の順番を待っていた。ほとんどの人はため息をつき、下を向いている。平成不況のなか、リストラなどで職を失った人たちだろう。
 その人たちの脇をすり抜け、求人が載っているパソコンの前に座った。年齢は24、職種は問わないと入力する。すると200件くらいの募集があった。この不況下でも収入、年齢を問わなければこれほどの募集があった。その募集欄を上から眺めて行った。営業、事務、建設、土木、サービス・・・。年が若いからか、いろいろな業種の企業の募集がある。

 私はどのような仕事がむいているのだろうか・・・。パソコンの画面を見ながら考え込んでしまった。前回の仕事で、私には営業の仕事が向いていないということを痛いくらい思い知らされた。かといって、体力のない私に建設、土木は無理だろうし、電気関係の知識もないため、工場でも雇ってくれないだろう・・・。しかも私の持っている資格といったら、普通運転免許だけだった。職業に関係する資格を持っていないと、かなり業種が制限される。
 向いていない仕事をすることは避けたかった。前回の繰り返しになってしまう可能性がある。しかし、自分に向いている仕事というのがわからない。
 ふと隣を見た。隣のパソコンには50歳くらいのおじさんがパソコンの画面に向かい、頭を抱えていて、さっきから何度もため息をついている。年齢制限で職に就けない人が多くいる。職を選んでいる場合ではない。
 自分の中では何でもいいから仕事に就きたいという気持ちがある。しかし、何でもいいというと、逆に仕事が見つからない。
 パソコンの前で、2時間以上求人欄を見ていたが、その日は結局仕事の候補すら見つからなかった。

 次の日もハローワークに向かった。しかし昨日と結果は同じだった。ただパソコンの求人欄を眺め、何も見つからず家に帰って行った。




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