介護福祉師


第一章:孤独

4.暗闇の中

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 髪の毛を切られている最中、いやな沈黙が続き、私はどうしたらいいのかわからず、緊張で体が硬直していた。初対面の人と会話することがひどく苦手なのだ。
 私はこのまま何も話しかけてくるな。と心の中で祈っていた。すると
「仕事は何してるの?」
 突然、何の前触れもなく、主人は私に話しかけてきた。予想外の事態に驚いた。無職で家にひきこもっています。なんてとても言えない。
「こ、工場で働いています」
 とっさに出た嘘をついた。すると主人は髪を切りながら
「大変だねえ」
と言った。何が大変なのか働いたことがない私にはよくわからない。多分、力仕事をしていると思ったのだろう。その後何も話さず沈黙が続いた。その間、私は顔面が蒼白になっていた。このままでは間が持たない、次なにか質問されたら絶対に答えられない。この場から走って逃げだしたくなった。
 しかし幸運なことに、主人はそれ以降私に話しかけてはこなかった。ただ黙々と私の髪を切り続ける。話しかけても話が盛り上がらないことを経験で感じ取ったようだった。

 頭を洗い、仕上げの段階に入った。
「これくらいでいいですか?」
 鏡越しに聞いてきた。この段階で不満を言う人はほとんどいないだろう。私も例外ではなく
「このくらいでいいです。」
と答えた。早く終わらせ、この場から立ち去りたかった。
 その言葉を聞くと、主人は丁寧に髪の毛を払い終わりとなった。代金を払い、そそくさと店を後にした。そして小走りで家に帰り、玄関のドアを開けると、すぐに部屋の中に入って行った。

 第一関門クリアーした。鏡の前で自分の姿を確認する。髪を切ったため、暗い印象が少し和らいだような気がする。大きく息を吐いたあと、もう一度ドアノブを回し、外に出た。朝起きた時から、今日中に時計を買おうと決めていた。

 一年前、部屋で寝てばかりいた時、つまり、ひきこもりを始めた時、私は時計を見ることが苦痛で仕方がなかった。時の流れは驚くほど速く、時が過ぎれば過ぎるほど、私は絶望という闇に迷い込んでしまった。毎日枕元にある時計の秒針が、カチリ、カチリと音を立てる度、恐怖に襲われるようになってしまった。 ある日、その恐怖に耐えることが出来なくなり、時計を壁に向けて投げつけてしまった。すると時計は壁にぶつかり、ガチャンという音と共にひびが入り壊れ、2度と時を刻むことはなくなってしまった。それから1年間私の部屋の時間は止まったままだった。
 車を借り、雑貨屋に向かった。そこには多種多様な時計が並んでいた。どれにしようと悩んだが、シンプルで音の静かなものを選んだ。理由は夜、時計の音がうるさくて眠れないと困るからだった。

 部屋に帰り、時計に電池を入れ机の上に置いた。すると時計はゆっくりと、そして正確に時を刻み始めた。1年ぶりに私の部屋の中の時間も周りと同じように動き始めたのです。




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