介護福祉師


第一章:孤独

2.回想

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 しかし会社での生活というものは、私が想像していた以上に最悪でした。この時、本当にツケがまわってきたのです。
 私が就職した会社は、日本ではやや名の知れた、中堅あたりに位置する電機メーカーでした。大学は文系で、電気関係の知識を全く持ち合わせていない私は、営業部に配属されました。
 しかも扱う商品は冷蔵庫、炊飯器、電子レンジなどの業界でいう「白モノ」と呼ばれるほとんど売れない商品の担当をやらされました。なぜ冷蔵庫や炊飯器が「白モノ」と呼ばれるかというと、販売されている商品のほとんどの色が白いからです。
 仕事内容は百貨店や大手電器店をまわり、あまり売れそうもない自社の白モノ商品を売り込むことでした。
 しかし平成不況の中にあって、丈夫で長持ちする白モノは、予想通り売れませんでした。それに中堅あたりに位置する電機メーカーの商品を棚の中心に置いてくれる店は極わずかしかありません。ほとんど大手の電機メーカーに中心を取られ、うちの商品はおまけのように隅に置いてあるだけでした。これでは売れるはずもありません。
 私の営業成績は全くといっていいほど伸びませんでした。当然のことながらノルマというものが存在していて、営業部のパソコンの中に管理され、月に1度大きく張り出されました。私の成績は営業部の中でも最低に近く、ノルマを達成するにはほど遠いものでした。
 上司からは毎日のように怒鳴り声をあげられ、夜遅くまで残業する日々が続きました。時には休日に出勤して、穴埋めをしようと必死で働きました。
 しかし懸命に働いても、全く結果というものがついては来てくれませんでした。営業の仕事は得意先の人と、どれほど関係を気付くかということが非常に重要なことで、元々人と話すことが苦手で、いつも部屋に一人でいたような人間に、営業なんてうまくできるはずはありません。無茶な話でした。
 私は半年たっても全く仕事がうまくいきませんでした。最初の3ヶ月は周りの先輩達は大目に見てはくれましたが、半年近くになると、成績が上がらない私に対する風当たりは少しずつ強まっていきました。
 企業というものは利益を出すことが目的であります。私のような成績も全く出せず、利益につながらないような人間は邪魔なだけでした。

 しばらくすると、同僚との関係も上手くいかず悩むようになってきました。口下手なのが災いし、自分の意見をうまくいえず、上司は同僚とどうせすればいいのか分かりません。日に日に職場内で孤立していきました。
 気づいた時には、私は陰で「白モノ」というあだ名がついていました。誰がつけたのでしょう当時の私にぴったりでした。開発費がやたらとかかる割に売れず、会社の足を引っ張る。そういった意味だったろうと思います。
 すでに、会社に私の居場所はありませんでした。そのうち毎朝通勤電車に乗ることが憂鬱になってきました。行くたびに必ずと言っていいほど、なんだかのミスをしてしまい、大声で叱責されるのです。
 1年が経過した頃には気持もかなり参ってきてしまって、やっていく気力もなくなってきました。悩みましたが、辞表を提出する決意をしたのです。





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