介護福祉師


第一章:孤独

2.回想

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 それから4年後、大学を卒業し就職活動の時期になりました。しかしその時まで私はどのような職業に就きたいのか分からずにいました。しかも悪いことに、卒業するとき、時代はバブル経済崩壊後の平成不況の真っただ中。企業は新卒の採用を控えていたため、求人は数えるほどしかなく、優秀な学生でもなかなか就職できない時代でした。
 なんの技術も持たない私が簡単に就職できるはずもなく、何十社と面接を受けましたが、ことごとく不採用の通知が家に届きました。
「学生時代どのようなことを熱心に勉強されてきましたか?」
「なぜ当社を受けようと思ったのですか?」
「どのような仕事が自分に向いていると思いますか?」
 これらの質問に私は満足に答えることができませんでした。面接を受けている最中、額からは汗が吹き出し、持っているハンカチで何度も汗をぬぐいました。
 元来の口下手が災いし、うまく説明することができず、結果は当然のように不採用でした。その時初めて私は学生時代何を学んできたのだろう、と頭の中で考えました。
 学業の成績は確かに他の人間よりもよく、そして他の誰よりも勉強してきました。しかし社会で受け入れられないのです。

 なぜなのか・・・。私は真剣に悩みました。
 何十社と受けた面接を思い返してみます。するとある点に気付いたのです。私は面接を受けている時間、多分1時間くらいだと思いますが、その時間の中で自分を表現することが出来ないのです。これといった特技もなく、趣味もありません。自分をアピールする事柄が、大学を卒業する時点になってもほとんど見当たらないのです。そのため、貴重な面接の時間、ずっと下を向き、大した話題もなく時間を無駄に経過させてしまっていました。
 何か、学生時代に学んでおかなければいけない重要なことを、大学を卒業する今になっても学んでいない。そんな考えが私を覆いました。
 私は根性というものがほとんどなく、辛い、苦しいと感じた時は、すぐに逃げ出してしまう人間だったように感じます。
 そのツケが今になって回ってきたような、恐ろしい感覚にとらわれました。

 私はそれでも会社の面接を受け続けました。諦めて働かないでいるわけにはいきません。しかし面接の内容は最悪でした。平成不況の中、採用試験の厳しさは増すばかりで、仮に1次試験に合格したとしても、2次試験、3次試験と人員は絞られて行き、それに反比例するように、面接時間は1時間から2時間、そして3時間と長くなり、その長い間に私のアピールする事柄は尽きてしまい、結果振り落とされるという状態でした。
 隣で自分のことを、スラスラとそして笑顔でアピールしている学生を見て、自分との差を強く感じ、そして縮こまってしまう時もありました。

 採用試験を40社ほど受けても、私には採用通知が来ませんでした。この頃になると、郵送されてくる採用通知を確認することが、段々億劫になってきました。開けるだけ無駄、はっきりいってどんな企業を受け、そしてどんな面接内容だったかもよく覚えていなくなっていました。面接を受けること自体、とてつもなく無駄な事をしているような気がして、毎日ため息をつきながら、これからどうしたらいいだろうと考えていたような気がします。
 しかし46社目の採用通知を開けたとき、私は目を疑い、そして大声をあげました。そこには採用と書いてあったのです。
 40社以上不採用という文字を見続けてきた私は、印刷をする時、不採用の不という文字を書き忘れたのではないか、と疑ってしまいました。しかし採用という文字の下に、何月何日の何時に会社まで来てください。と書いてあったのです。これでようやく他の学生と同じように就職し、働くことが出来る。そう考えると、ようやく胸の荷が下り、心からほっとしました。





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