介護福祉師


第一章:孤独

2.回想

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 子供のころの私には、ゲーム以外の趣味はありませんでした。というよりほかの友達と遊んでいても楽しくないのです。もともと私は気が小さく、人見知りの激しい子供でした。
 他の人間と接すると何かと気を使い、自分が中心になることが嫌いでいつも端にいるような子供でした。みんなの先頭に立ち、何かをすることを極力さけていました。口下手のため自分の思いがうまく伝わらないし、面白いことも言えないため、他の人に反抗せずついていく子供だったと思います。
 そのうえ、私には運動神経という神経が著しく欠けていて、体育の授業でやるスポーツはすべて下手くそで、何をやらしてもミスばかりしていました。特に集団競技ともなると、私はミスを恐れ絶対攻撃には参加せず、後ろのほうで守ってばかりいて、目立つような動きを全くしませんでした。
 体育の時間が憂鬱でした。短距離走ではいつもしんがりを務め、長距離走では息が続かず歩いてゴールするありさまでした。
 体育の先生からは
「おまえは根性がない。」
 と黄色いメガホンを使い大声で罵られました。
 球技はなにをやらせてボールが手に付かず、水泳は泳ぐよりも先に沈んでしまうのです。友達と缶けりをして遊んでみても、一番初めに見つかるのは当然のように私でした。その後、鬼をやらされる羽目になるのですが、一向に他の人を見つけることができず、もし見つけることが出来たとしても、走るのが遅いため缶を必ず蹴られてしまい、また一から一人ずつ見つけることになるのです。そのため何時間も鬼をやらされることがざらにありました。
 野球をやらしてみても、守備ではエラーを繰り返してしまうため、守る位置は必ずライトと決まっていました。打つほうはというと、三振を繰り返し、そのうえ送りバントもあたらないというありさまで、最後には試合に全く出してもらえなくなっていました。
 このような状態のため、私は他の友達と遊んでいても全く楽しくありませんでした。みんなと協力して何かをやるということが、子供のころから苦手でした。





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